Contents
はじめに
看護師や医療事務のスタッフさんにとっては楽しみの一つである給与や賞与(ボーナス)も、院長先生にとっては悩みの種。
給与や賞与については、しっかりと決定プロセスをスタッフさんに説明しないと、不平等感を与えて不満のもとになってしまいます。
また、給与や賞与の問題は、現在働いているスタッフさんだけの問題ではありません。
例えば、3月いっぱいでクリニックを退職することになったスタッフさんから、院長先生がこんなことを言われました。
「1~3月まで働いた分のボーナスは6月にもらえるんですよね?」
院長先生としては退職金ならともかく、退職後に賞与を払うことは抵抗がある方がほとんどでしょう。
さて、院長先生は退職する看護師の言う通り、退職後に賞与を支払わないといけないのでしょうか?
就業規則で賞与についてどう定めているのか?
賞与は労働基準法で「絶対に払わないといけない」と定義されているわけではありません。
賞与の支給については、クリニックの院長先生の裁量で決められます。
しかし、だからといって当然適当に支給してはいけません。冒頭に書いたように、スタッフ間の賞与格差が不満を生むことになります。
賞与に関するトラブルを防いでいるクリニックの多くは、就業規則などで明確な基準を定めています。
つまり、賞与については全般的に、就業規則でどのように定めているかが大きなポイントになります。
これは退職するスタッフ、すでに退職したスタッフに対しても同様です。(もちろん給与や退職金についても同じことが言えます)
自己都合退職する看護師に賞与を支払わないようにするには?
クリニックの先生にとって、賞与支給の目的な様々あると思いますが、当然現在働いているスタッフさんに賞与は支払いたいもの。
できれば退職する看護師に賞与は支払いたくないものです。特に冒頭のケースは自己都合退職です。
結論から言うと、看護師の退職後の賞与の支払いをしなくて良いようにするには、就業規則で
「支給日に在籍している者に対して賞与を支給する」
という内容を明確に規定することです。
逆に就業規則等で、このような記載がないと、退職後の賞与を支払わないようにするのは難しいでしょう。
もし冒頭の看護師が就業規則などを見て、上記の規定がないことを理由に退職後の賞与を求めているのであれば、かなり賢いと考えられます。
しかし、今はインターネットなどで労務の関することは簡単に調べられる時代です。
クリニックの労務対応に不満があれば、インターネットで何かしら調べていることは容易に想像が付くので注意するようにしましょう。
なお、「支給日に在籍している者に対して賞与を支給する」という取り決めは、「支給日在籍要件」と呼ばれる考え方です。
「支給日在籍要件」を就業規則、もしくは賃金規程などに次のように定めておくと良いでしょう。
【支給日在籍要件の規定例1】
第◯条(賞与の支給日在籍要件)
前条の賞与の支給については、支給日に在籍している者に限り賞与を支給する。
【支給日在籍要件の規定例2】
第○条(賞与の支給日在籍要件)
前条の賞与の支給日に在籍しない労働者には、賞与を支給しない。
しかし、スタッフさんから冒頭のような要求があった後に、就業規則に支給日在籍要件を追加するようなことは避けましょう。
退職するスタッフさんに対して不利益変更をしたと判断される恐れがあるためです。
賞与に限った話ではないですが、このようなトラブルを避ける取り決めは新規開業時に確立しておくのが理想です。
10人未満のクリニックには義務付けられていない就業規則についても、早めに作成することをお勧めします。
会社都合退職や定年退職の場合の退職後の賞与の支払いは?
冒頭の看護師の退職のケースは自己都合退職です。
それでは、会社都合退職(退職勧奨、懲戒解雇、諭旨解雇等)や定年退職のように、スタッフ側で退職日を決められない場合はどうなるでしょう?
自己都合退職以外の場合は、解雇など退職の原因がスタッフ側になるのか、クリニック側にあるのかで決められます。
支給日在籍要件を規定したからといって、必ずしも退職後の賞与の支払いを拒否できるわけではありません。
例えば定年退職や人員整理を理由に解雇する整理解雇は、スタッフさんが何か悪いことをして退職するわけではありません。
自分は何も悪くないのに退職日も決めることができず、強制的にクリニックを辞めさせられるわけです。
このような場合は、基本的に「支給日在籍要件」は適用されません。
もちろん満額ではありませんが、クリニックに在籍していた分の賞与は支払わないといけません。
一方、退職勧奨、諭旨解雇、懲戒解雇といったスタッフさんが原因で退職する場合の会社都合退職では、支給日在籍要件は有効でしょう。
スタッフさんが何か問題あるようなことをして退職するわけですから、退職後に賞与を支払う必要はありません。
退職の種類 | 退職後の賞与の支払い |
---|---|
自己都合退職 | 不要 |
普通解雇 | 不要 |
整理解雇 | 必要 |
懲戒解雇 | 不要 |
諭旨解雇 | 不要 |
退職勧奨 | 不要 |
定年退職 | 必要 |
退職予定者の賞与を減額することは可能?
それでは、支給日在籍要件を定めると、ほとんどのスタッフさんは賞与をもらってから辞めるのではないでしょうか?
それは当然でしょう。冒頭の看護師も、おそらく院長先生から支給日在籍要件の話をすると、「じゃあ6月に辞めます」となるでしょう。
クリニックに限らず、一般企業でもボーナス月に退職する人はかなり多いです。そうでなければ、スタッフさんにとっては大損ですから当然です。
スタッフさんは何も悪くありません。そして、この場合は最後の賞与の支払いを拒否することはできません。
しかし、それでは院長先生は納得いかないでしょう。
きっと「せめて退職予定者の賞与を減額できないか?」と考えるのではないでしょうか?
特に賞与はスタッフさんの将来の期待を込めている意味合いも強いですから、このように考えるのは当然でしょう。
就業規則等に明記すれば賞与の減額は可能
やはり、退職予定者の賞与を減額したいのであれば就業規則や賃金規程などにその旨を明記しましょう。
支給日在籍要件同様、明記していなければ賞与の減額はできません。
またボーナス月に辞めるスタッフさんが多いからといって、後で就業規則に追記すれば、やはり不利益変更になる可能性があります。
また退職予定者には賞与を減額する旨は、スタッフさんには必ず周知するようにしてください。
そうでなければスタッフさんのなかで不信感を生むことになり、これをきっかけに労使トラブルに発展する可能性があります。
どれくらい賞与を減額できるのか?
就業規則に賞与の減額を規定するにしても、ではどのくらい賞与カットすれば良いのでしょうか?
なかには8~9割カットしたいという先生もいるでしょうが、残念ながらそれは難しいでしょう。
ベネッセコーポレーション事件判決(東京地判平8.6.28)の例があります。
会社側では賞与支給後すぐに退職した社員に対して8割の賞与カットを求めました。
しかし、判決では賞与の減額こそ認めたものの、その減額はわずか2割でした。
実際の判例がありますから、退職予定であることを理由に減額する場合は、最大でも2割程度の減額に留めるのが無難でしょう。
賞与減額で懸念しないといけないことは?
退職予定者の賞与の減額については、せいぜいできるとしても判例から2割程度と考えられますし、そもそも慎重にならないといけません。
というのも、賞与を減額することによって、急に退職届を提出するようなことが考えられるためです。
民法627条では期間の定めのない雇用の解約の申入れについて、次のように定められています。
1.当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。
2.期間によって報酬を定めた場合には、解約の申入れは、次期以後についてすることができる。ただし、その解約の申入れは、当期の前半にしなければならない。
3.六箇月以上の期間によって報酬を定めた場合には、前項の解約の申入れは、三カ月前にしなければならない。
民法627条
月給制のクリニックで該当するのは、民法627条のうち1項と2項です。これを言い換えると、次のように言うことができます。
給与計算期間の前半までに退職の意思表示 | 当月末に退職が可能 |
---|---|
給与計算期間の後半に退職の意思表示 | 翌月末に退職が可能 |
つまり、賞与支給まで退職の意思を隠しておき、支給直後に「院長、私辞めます!」と言うことができるわけです。
なかには、引き継ぎなどのことも考慮して、混乱がないように2~3ヶ月前に退職の意思を示すスタッフもいるでしょう。
早めに通知したスタッフの賞与が減額され、急に退職届を出すスタッフのスタッフの賞与が減額されない。
これでは不公平感が否めません。
だからといって、スタッフさんの退職の自由を縛ることはできません。
せいぜい就業規則には、「◯日前に上長の承認を得ることが望ましい」くらいにしか書けないでしょう。
ボーナス月直後に退職したスタッフさんに、賞与の一部を返金する規定を加える方法もありますが、運用は慎重に検討する必要があるでしょう。
【まとめ】賞与に関する取り決めは明確に!
以上、クリニックのスタッフさんに対して退職後に賞与を支払う必要はあるか?
そして退職予定者の賞与を減額できないか?についてお伝えしました。
- 就業規則などで支給日在籍要件を明確に規定すれば、自己都合退職後の賞与の支払いは不要
- 就業規則などで規定すれば、退職予定者の賞与の減額は可能だが、支給減額と運用は慎重になる必要あり
このように、賞与に関する揉め事を避けるためには、就業規則などで明確に定めておく必要があります。
後で追加するようなことになれば「不利益変更」と捉えられる恐れがあるので、できれば新規開業時に規定するのが理想です。
医院開業時に労働条件を取り決める際に、専門の社労士と相談して賞与についても明確に定めていきましょう。
ご相談・お問い合わせ

- 亀井 隆弘
社労士法人テラス代表 社会保険労務士
広島大学法学部卒業。大手旅行代理店で16年勤務した後、社労士事務所に勤務しながら2013年紛争解決手続代理業務が可能な特定社会保険労務士となる。
笠浪代表と出会い、医療業界の今後の将来性を感じて入社。2017年より参画。関連会社である社会保険労務士法人テラス東京所長を務める。
以後、医科歯科クリニックに特化してスタッフ採用、就業規則の作成、労使間の問題対応、雇用関係の助成金申請などに従事。直接クリニックに訪問し、多くの院長が悩む労務問題の解決に努め、スタッフの満足度の向上を図っている。
「スタッフとのトラブル解決にはなくてはならない存在」として、クライアントから絶大な信頼を得る。
今後は働き方改革も踏まえ、クリニックが理想の医療を実現するために、より働きやすい職場となる仕組みを作っていくことを使命としている。
こちらの記事を読んだあなたへのオススメ
