開業医の先生が最低限知りたい医師・看護師の労災の知識と事例

公開日:2019年11月19日
更新日:2024年4月9日

診療科目によりますが、開業医の先生にとって、労災という言葉は意外と身近なものでしょう。

労災によるケガや病気でやってきた患者さんの対応をすることがあるからです。

ただ、自分自身の医院・クリニックの労災について意識している開業医の先生はそれほど多くないかもしれません。

労災には主に業務災害と通勤災害、複数業務要因災害の3種類がありますが、今回は開業医の先生が知っておくべき労災の知識や事例について紹介していきます。

特に業務災害となると、医師・看護師など医療従事者に多い事例もあるので、最後までご覧ください。

医師・看護師の業務災害

労災というと、多くの方が思い浮かべるのが仕事中の事故やトラブルによって発生する労災ではないでしょうか?

このように、就業時間中に業務を原因とする負傷や疾病、死亡のことを業務災害と言います。

業務時間中の労災である業務災害は、職種によって特徴があり、医師・看護師など医療従事者にも特有の事例があります。

そこで、まずは医院・クリニックで比較的リスクの高い業務災害について、いくつか紹介します。

インフルエンザの感染

医院・クリニックで働く場合、患者さんを通じてインフルエンザなどの感染症にかかるリスクは気になるのではないでしょうか?

開業医の先生を含めクリニックで働く医師や看護師などは、患者さんと日常的に接するので、院内感染のリスクにあります。

そのため、クリニックで働く方は、おそらく予防接種の徹底など他の職種以上に対策を徹底していると思われます。

しかし、インフルエンザウィルスは感染経路の特定が難しいので、医療従事者であってもインフルエンザが労災と認定される可能性は低いでしょう。

そうでなければ、医療従事者がインフルエンザにかかれば全員労災認定されてしまうことになってしまいます。

ただ、明らかに業務上の必要性からインフルエンザ患者に対応したなど、院内感染と特定できれば労災の対象になります。

そのため、他の職種に比べると、インフルエンザが労災認定される確率は高いと考えられます。

新型コロナウィルスの感染

新型コロナウィルスの場合はインフルエンザと考え方が異なり、感染経路の特定が難しくても労災認定されます。

 インフルエンザコロナ
業務内の感染
感染経路不明×
業務外の感染××

〇:労災認定される
×:労災認定されない

このように、インフルエンザの場合は、明らかな業務内の感染のみ労災認定されることに対し、コロナは明らかに業務外でなければ労災認定するという考え方です。

インフルエンザやコロナ感染の労災については、次の記事に詳しく書かれていますので、併せてご覧ください。

【関連記事】看護師など医療従事者のインフルエンザやコロナ感染は労災になる?

結核の感染

もちろん、様々な病気に対応する医師や看護師であれば、感染リスクはインフルエンザやコロナだけではありません。

結核のような今ではそんなに聞かなくなった病気でも、クリニック内であれば比較的感染のリスクは高くなるでしょう。

結核の場合、比較的感染経路は特定しやすいので、労災が認められる可能性は高くなると考えられます。

C型肝炎の感染

クリニックなどの医療従事者が、もうひとつ感染で気をつけたいのが血液や体液などの曝露です。

具体的には使用済み注射針をうっかり自分に刺してしまったり、患者さんの体液に触れてしまったりした場合です。

これによってC型肝炎やHIVに感染する可能性もあり、以前は医療従事者の感染が問題になったことがあります。

この場合も感染経路は特定しやすいので労災は認定されやすいでしょう。

殺菌消毒剤の吸入

実際にあった事例ですが、院内で使用している殺菌消毒剤の吸入が原因で、鼻や咽喉の不調を訴えた看護師がいました。

この場合、院内の殺菌消毒剤によるものと断定できればこちらも労災は認められやすいでしょう。

また、クリニックとしては、次のような対策が必要になってきます。

  1. 不調を訴えた看護師については殺菌消毒剤を使用しない業務に就いてもらう
  2. 当該看護師だけでなく、他の看護師にも防護マスクやゴーグルの着用を指示する
  3. 殺菌消毒剤の安全性に関する調査を指示する

なお、似た事例で看護師の化学物質過敏症により病院側の安全配慮義務違反が認められ、約1,000万円の賠償金の支払いが命じられたこともあります。

うつ病

医院・クリニックに限った話ではありませんが、医療従事者のなかでもうつ病などの精神疾患のリスクがあります。もちろん、うつ病も労災認定の対象です。

うつ病になる人が院内で増えるということは、クリニックの雰囲気や人間関係が悪くなり、職場環境が悪化している可能性が高いです。

労災うんぬん以前に離職が相次いだり、大きな労務トラブルが起きたり、最悪の場合過労自殺などで訴訟問題に繋がるリスクがあります。

医師・看護師の通勤災害

労災のもうひとつのパターンが通勤災害です。通勤災害とは、出社時、及び退社時に起きた事故による災害です。

業務災害に比べれば、あまり医院・クリニックの特有の特徴というのはないでしょう。

しかし通勤災害の場合、気になるのは通勤災害が適用される範囲です。そこで、ここでは通勤災害が適用される範囲についてお伝えします。

通常の通勤災害の対象範囲は?

通勤災害の対象範囲というと、基本的には各々のスタッフの住居から医院・クリニックまでと考えられがちですが、その限りではありません。具体的には次のとおりです。

(1)住居と就業の場所との間の往復
(2)就業の場所から他の就業の場所への移動
(3)住居と就業の場所との間の往復に先行し、または後続する住居間の移動(単身赴任者の赴任先住居と帰省先住居の間の移動)

※厚生労働省「労災保険給付の概要」より引用

しかし、次の場合は逸脱または中断の間及びその後の移動は「通勤」とはみなされず、労災補償の対象となりません。

(1)移動の経路を逸脱(通勤の途上で通勤とは無関係の目的のために経路をそれる)
(2)移動の経路を中断(通勤を中断して通勤と無関係の行為をする)

※厚生労働省「労災保険給付の概要」より引用

例えば帰り道に飲みに行く、遊びに行くということは多いと思いますが、その場合も移動の経路を逸脱、もしくは中断となります。

少しわかりにくいのですが、この場合帰り道に飲みに行ったりしている最中のみ労災対象除外となるのではありません。

逸脱・中断となる行為を終え、その後通常の経路に復帰して事故に遭っても労災と認められないということになります。

ただし、通勤の途中で公衆トイレを使う、タバコや食事を買うという些細な行為の場合は「中断」「逸脱」とはなりません。

通勤途中で駅のトイレに向かったりコンビニに立ち寄ったりする程度であれば、住居~就業場所までの経路が労災対象となります。

日常生活上必要な行為のために逸脱・中断した場合

ただし、上図の通り、日常生活上必要な行為のために通勤経路を逸脱・中断した場合、逸脱・中断の間を除いて「通勤」とみなされ、労災補償の対象となります。

つまり、逸脱・中断となる行為を終え、通常の経路に戻った場合の事故は労災と認められます。

具体的に「日常生活上必要な行為」とは、つぎのようなことを指します。

(1)日用品の購入や、これに準ずる行為
(2)職業訓練や学校教育、その他これらに準ずる教育訓練であって、職業能力の開発向上に資するものを受ける行為
(3)選挙権の行使や、これに準ずる行為
(4)病院や診療所において、診察または治療を受ける行為や、これに準ずる行為
(5)要介護状態にある配偶者、子、父母、配偶者の父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹の介護(継続的に、または反復して行われるものに限る)
※厚生労働省「労災保険給付の概要」より引用

これらの行為が終わり、合理的な通勤経路に復帰後の移動の間の事故による負傷等については、例外的に労災補償の対象となります。

なお、(5)について2017(平成29年)以前は次の取り消し線の部分も記載されていましたが、育児・介護休業法で改正が行われ、削除されています。

(5)要介護状態にある配偶者、子、父母、配偶者の父母並びに同居し、かつ扶養している孫、祖父母及び兄弟姉妹の介護(継続的に、または反復して行われるものに限る)

「同居し、かつ扶養している」の削除は、同居・扶養の条件が撤廃されて通勤災害の対象が拡大したことを意味します。

つまり、同居・扶養していなくても要介護状態であれば孫、祖父母及び兄弟姉妹の介護で通勤経路を逸脱・中断しても労災補償の対象ということです。

医師・看護師の複数業務要因災害

多くの場合、労災というと上記の業務災害か通勤災害が主なところですが、加えて2020年から複数業務要因災害による労災保険制度が施行されています。

複数事業労働者とは、事業主が同一でない複数の事業場に同時に使用されている状態のことを指します。

医師や看護師の場合、複数の病院・クリニックに勤務している複数事業労働者のケースは少なくありません。

具体的には、複数業務要因災害の対象となるのは、以下の場合です。

  1. 2つ以上の事業の業務を要因とする傷病
  2. 脳、心臓疾患や精神障害などの疾病が対象

この2点について具体的に解説します。

複数事業労働者の具体例

簡単に言えば、複数業務要因災害とは副業・兼業で長時間労働している場合の過労を原因とする疾病に対する労災制度です。

しかし、2人以上事業主がいる複数の職場で働いていた場合に該当し、労働者以外の働き方(個人事業主など)で就業している場合は該当しません。

例えば、先ほどお伝えしたように医師や看護師が複数の病院やクリニックで勤務しているような場合が該当します。

また、日中は看護師として勤務して、夜間は雇用形態で別の仕事をしている場合も該当します。

しかし、個人事業主との兼業は該当しないので、医院・クリニック勤務終了後にインターネットを使って副業をしているような場合は該当しません。

複数事業労働者の労災対象の疾病

複数事業労働者の労災対象は、脳、心臓疾患や精神障害などの疾病に限定されます。

複数の事業場に従事しており、労働時間や心理的ストレスなどを総合的に評価して、労災と認定できるか評価されます。

業務中や通勤中の事故については、これまで通り対象事業所の業務災害もしくは通勤災害という扱いになります。

クリニック内の労災問題Q&A

その他、クリニック内の労災に関する問題について、よくある疑問などにお答えしていきたいと思います。

労災給付は看護師やスタッフの損害をすべて補填できるのか?

結論から言うと、労災給付は看護師やスタッフの損害をすべて補填するものではありません。

労災給付としては、治療費が支給される療養補償、休業中の給与の6割が補償される休業補償、後遺症が補償される障害補償等があります。

しかし、それでも看護師やスタッフがそれ以上の金額を求めるのであれば、損害賠償を請求するため民事訴訟を起こすことができます。

例えば先に書いたように、安全配慮義務違反が主張され、クリニック側が敗訴した裁判例もあります。

また労働法だけでなく、医院・クリニックは医療法でも院内感染対策などの医療安全対策を講ずる義務が定められているので注意が必要です。

労災給付の補填として医師賠償責任保険は使えないのか?

医師賠償責任保険は、患者に被害が生じた場合に適用されるものであり、医療従事者の業務中の被害には適用されません。

労災給付で補填されないようであれば、労災保険で支払われた分を差し引いて、クリニック側が自腹で支払うことになります。

業務に関係のない第三者の労災はどうするのか?

通勤中の交通事故など、第三者(労災保険関係にある当事者以外)の行為によって生じて、第三者が損賠賠償の義務を持つ災害を「第三者行為災害」と呼びます。

この場合は、損害に対する二重のてん補とならないように支給調整が行われます。

例えば自動車事故であれば、労災保険給付と自賠責保険で、同一事由によるものについては二重のてん補となりません。

つまり、以下のようなイメージで、どちらか一方を先に受けることになります。

※厚生労働省「労災保険給付の概要」より引用

このような場合は、メリットが大きい補償を先行して被災者または遺族が自由に選ぶことが可能です。

【まとめ】労災給付の申請は速やかに

労災に関しては、主に業務災害と通勤災害の2つに大きく分けられます。医院・クリニックの特有の問題はどちらかというと前者の業務災害の方ではないでしょうか。

どちらにしろ、労災が起きた場合は労基署から労災の請求書を入手し、速やかにスタッフに労災給付ができるようにしておきましょう。

また、クリニック側が安全の配慮を怠ったということになれば、労災の給付だけでは補填できない損害賠償を請求される可能性もあります。

そのようなことがないように、日頃からリスクマネジメントを徹底するようにしていきましょう。

以下の記事も参考にしてください。

【関連記事】開業したばかりのクリニックの先生が知りたい労災保険の基本

亀井 隆弘

広島大学法学部卒業。大手旅行代理店で16年勤務した後、社労士事務所に勤務しながら2013年紛争解決手続代理業務が可能な特定社会保険労務士となる。
笠浪代表と出会い、医療業界の今後の将来性を感じて入社。2017年より参画。関連会社である社会保険労務士法人テラス東京所長を務める。
以後、医科歯科クリニックに特化してスタッフ採用、就業規則の作成、労使間の問題対応、雇用関係の助成金申請などに従事。直接クリニックに訪問し、多くの院長が悩む労務問題の解決に努め、スタッフの満足度の向上を図っている。
「スタッフとのトラブル解決にはなくてはならない存在」として、クライアントから絶大な信頼を得る。
今後は働き方改革も踏まえ、クリニックが理想の医療を実現するために、より働きやすい職場となる仕組みを作っていくことを使命としている。

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