はじめに

医療従事者向けの大手総合医療情報サイトm3.comの2017年の調査によると、28.6%の現役開業医の貯蓄金額が4,000万円以上というデータがあります。貯蓄額1億円以上に絞っても10.6%です。

しかも、これは現役開業医の場合ですから、開業医の先生がリタイアしたあとの預貯金は相当額ではないかと考えられます。

しかし開業医の先生が亡くなると、銀行口座が凍結され、一部の金額を除いて引き出せなくなります。

そのため預貯金を払い戻すためには、被相続人の口座凍結の解除の手続きをする必要があります。

しかし、2016年12月19日の最高裁大法廷にて、次のことが決定されました。

「普通預金債権等が相続の開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく、遺産分割の対象になる」

これは被相続人が亡くなった場合、預貯金は遺産分割協議をし、相続人全員の合意がなければ預貯金の払戻しができないということです。

具体的に解説します。

故人の銀行口座の凍結とは?

口座凍結のイメージ

冒頭でも書いたように、被相続人が亡くなると、対象の銀行口座がすべて凍結されます。(厳密には死亡届を出した瞬間ではなく、相続人の誰かが銀行に申請を出すなど、銀行が死亡を把握してから凍結されます)

凍結されると、一部の金額を除き、現金を下ろすだけでなく、家賃や水道光熱費などの引き落としや、振込なども一切できなくなります。

口座凍結される理由

これは相続財産の線引きが不透明になったり、相続人の誰かがお金を勝手に使い込んだり持ち逃げしたりすることを防ぐためです。

そのため、故人の銀行口座を凍結するのは妥当な措置と言うことができます。

とはいえ、今すぐ現金が必要だったり、相続税の申告期限が迫ったりすると相続人が困ることになります。

銀行口座の凍結解除に必要な書類

銀行口座に凍結解除に必要な書類は、主に以下のものとなります。

以下の書類は相続人だけですべて用意するのが難しい場合が多く、行政書士や司法書士に依頼するケースが多いです。

  1. 被相続人の出生から死亡までのすべての戸籍謄本
  2. 相続人全員分の戸籍謄本
  3. 相続人全員分の印鑑証明書
  4. 死亡診断書など死亡が確認できる書類
  5. 銀行の通帳もしくはキャッシュカード(ネット銀行などは除く)
  6. 遺言書もしくは遺産分割協議書

問題なのは、最後の「遺言書もしくは遺産分割協議書」のところです。

被相続人が遺言書を遺して、相続人間で同意が得られれば、淡々と手続きを進めるだけで、口座凍結解除がスムーズに進みます。

しかし、遺言書がなく、遺産分割協議が長引くようなことになれば、冒頭でお伝えしたように口座凍結が解除されず、払戻しがされません。

【当然分割】故人の預貯金に対する従来の考え方とは?

遺産分割のイメージ

これまで被相続人が亡くなって預貯金が相続される場合、冒頭の判決が出る前の解釈は「相続の開始と同時に、当然に共同相続人間で相続分に応じて分割される」というものでした。

つまり、これまでは被相続人が預金を残して亡くなった場合、法律上は払戻請求をすれば相続人はすぐに払戻しを受けることができたのです。

特に相続人の間で話し合う必要はありません。このような考え方を当然分割と言います。

しかし、これはあくまで法律上の話で、金融機関の考え方は少し違うものでした。

一方で従来の金融機関の考え方は?

金融機関のイメージ

冒頭で延べた判決の話以前から、ほとんどの金融機関は、相続人全員の合意がなければ払戻請求に応じることは実質的にありませんでした。

つまり、相続人1人が単独で預貯金の払戻請求をしても、払戻しはされなかったのです。

なぜなら金融機関は、払戻請求を受けた相続について「遺言書が存在するのか」「相続の欠格事由がないか」などの情報を知ることはできません。

つまり、窓口に来た相続人が相当額を払い戻すのが妥当かどうかを判断できないのです。

曖昧なままにしていれば、銀行としては二重払いのリスクが出てきます。

ですから相続人全員の合意がなければ、一部例外を除いて口座凍結解除には応じていませんでした。

2016年以降、金融機関は例外的な払戻しを認めないように

従来の金融機関でも、相続人全員の合意がなければ口座凍結解除には基本は応じませんでしたが、以前は例外がありました。

以前の口座凍結解除の例外措置
  • 相続人が生活に困窮し、生活費や治療費を捻出しなければならない場合
  • 被相続人の葬儀費用・公共料金・相続税が多額で、被相続人の遺産がないと支払いきれない場合

このような場合、相続人全員の合意が得られず、遺産分割協議が進まなくても先に預貯金の払戻しを受けられないと困ってしまうからです。

その場合、事例としてはわずかですが例外的に預金の一部払戻しを認めてくれる金融機関もありました。

しかし、2016年12月19日の最高裁決定をきっかけに、このような例外を認めない傾向を強めています。

今後遺産分割協議が進まなければ、被相続人の口座凍結が解除されず、預貯金が払い戻されることはほぼありません。

被相続人の預貯金の払戻しに遺産分割協議が必要となった判決とは?

判決のイメージ

それでは2016年12月19日とはどういったものだったかお話します。

この裁判では被相続人Aが3,800万円の預貯金を残して死亡したケースでした。この被相続人には、養子の相続人Xと、養子B(死亡)の子である相続人Yがいました。

※この事案では厳密には250万円相当の不動産も含まれていましたが、わかりやすくするために省略しています。

養子Bは被相続人Aの妹で、かつ養子です。被相続人が亡くなる10年前に亡くなっています。

通常で考えれば、相続人はXとYですから、3.800円×1/2=1,900万円が分配されるはずです。

しかし、相続人Yの特別受益として、Yの母である養子Bは被相続人Aから約5,500万円の生前贈与を受けていたのです。

つまり、預貯金を遺産分割としない場合は、相続人Xの取得分は1,900万円、相続人Yの取得分は1,900万円+5,500万円=7,400万円になります。

このように預貯金を単純に分割されたら、不公平になってしまうのです。

しかし、預貯金を遺産分割の対象とする場合は父親の預貯金3,800万円はすべて相続人Xのものになり、相続人Yには特別受益5,500万円が残ります。

従来の判例を踏まえれば前者で相続人Xには不利な判決になります。実際に一審および原審では「預貯金は遺産分割の対象ではない」とされました。

しかし、最大決平成28年12月19日で従来の判例を変更し、後者の判決となったのです。

これにより特別受益や寄与分があった際に、寄与者などが具体的相続分に応じた遺産を確保しやすくなったと言えます。

【仮分割の仮処分】手元資金が必要な場合はどうすれば良いか?

手元資金のイメージ

普通預金の遺産分割において公平性が保たれるのは良いのですが、口座が凍結されたままだと手元に資金が必要になった場合に困ってしまいます。

実際に生活費や葬儀費用の捻出のため資金が至急必要になることもあるでしょう。ではどうすれば良いでしょうか?

仮分割の仮処分とは?

このような事態に検討する手続きが「遺産の仮分割の仮処分」という手続きです。

仮分割の仮処分とは、裁判所に対して緊急の資金の必要性がある事情を明らかにし、一部の預貯金について早急に払い戻せるようにすることです。

2016年12月19日の最高裁の判例が出されたことにより、銀行も例外的な払戻しを認めなくなりました。

ですから、今後仮分割の仮処分の手続きをする状況が増えてくるのではないかと考えられます。

仮分割の仮処分を利用すべき場合とは

仮分割の仮処分を利用すべき場合
  • ①扶養を受けていた共同相続人の生活費や施設入所費用の支払いが早急に必要である場合
  • ②葬儀費用や相続税などの支払いが必要な場合
  • ③被相続人の医療費や被相続人の借金の支払いが必要な場合

上記いずれも、被相続人の遺産の預貯金がないとすぐに払えないような場合が前提となります。

仮分割の仮処分を申し立てるために必要なもの

上記①の場合は、仮分割を申し立てる人の収入資料(源泉徴収票や課税証明書、確定申告書、家計収支一覧表、預金通帳、陳述書など)

②③の場合は借金や費用についての明細資料、報告書など

仮分割の仮処分のデメリット

一見すると相続人に対する救済措置とも読み取れる仮分割の仮処分ですが、相続人にとっては裁判所の手続きの手間やコストのかかる話です。

できれば、被相続人の方で事前に一部現金化しておいたり、遺言書の作成や信託を利用したり相続対策をしておくことが重要になるでしょう。

【改正相続法】一金融機関において最大150万円までは払戻し可能

口座のイメージ

もうひとつ重要な点が平成30年7月13日公布の改正相続法で、1口座あたり最大150万円まで払い戻しが可能になったことです。

これは仮分割の仮処分と違って、裁判所の判断を経ることなく、一定の範囲で遺産に含まれる預貯金債権(預貯金を払い戻せる権利)を行使できるものです。

これにより、相続人の各種の資金需要に迅速に対応することが可能になりました。

具体的な払戻しができる額の計算式は以下のようになります。

計算式と計算例
  • 払戻しをすることができる額=(相続開始時の預貯金の額)×(3分の1)×(払戻しを求める相続人の法定相続分)
  • 【計算例】:
    例えば、A銀行の普通預金に600万円あった場合で、法定相続分が1/2の場合は、600万円×1/3×1/2=100万円の払戻を受けることができます。

払戻し金額の上限は150万円となりますが、これは1金融機関あたりの額です。

もし上記の例でB銀行に1,200万円の預金があった場合は1,200万円×1/3×1/2=200万円で、上限の150万円がさらに引き出し可能になります。

被相続人が銀行口座を多く持っていれば引き出せる額は多くなります。

【補足】海外預金の場合はどうする?

普通預金と言うと、国内の銀行だけでなく、海外の銀行もあります。

開業医の先生の場合は海外預金を持っている方も多いでしょう。海外の資産が絡む相続は国際相続と呼ばれます。

非相続人が日本国籍であれば、原則として日本の法律に従った相続が行われます。しかし手続きに関してはその国やルールややり方に従って行う必要があります。

特に海外預金というとアメリカや香港、シンガポールで持っている方が多いと考えられます。これらの国は特に英米法という「相続分割主義」に従うので、手続きが煩雑になりがちです。

これは「プロベート(検認)」といって相続財産管理人を選任し、借金の清算や相続人への遺産の分配などを行うためです。

当該国の裁判所に申し立てを行い、相続財産管理人が預金の払戻手続きを行うのを待つことになるため、時間がかかります。

通常は国内弁護士と現地の弁護士と協力体制をつくることになり、海外預金を払い戻すのにだいたい半年~3年かかることがあります。

海外の預金については、遺産分割で揉める、揉めないに関わらず、預金を払い戻すのに時間がかかると思って良いでしょう。

海外の預金については、生前のうちに日本円で現金化しておくことが必要でしょう。

【まとめ】開業医の先生は預貯金の相続でも注意を

以上、預貯金の遺産相続の注意点についてお伝えしました。

2016年12月19日の最高裁大法廷で、普通預金については基本的に遺産分割協議で相続人全員の合意がないと払戻しができなくなりました。

仮分割の仮処分で一部の払戻しが可能ですが、裁判所の手続きが必要になります。

改正相続法により、裁判所の手続きがなくても一部払戻しが可能になりましたが、1金融機関での上限は150万円までです。

流動性の高い預貯金ですが、こうした事情から銀行口座が凍結され、払戻しに時間がかかってしまいます。場合によっては相続税の申告期限に間に合いません。

相続を考える被相続人の対策としては、しっかりと遺言書を遺して、銀行口座の保管状況を明確に示しておくことをおすすめします。

相続人が納得する形で遺言書を遺しておけば、銀行口座の凍結解除については手続きだけで済むため、スムーズに進むでしょう。

ご相談・お問い合わせ

お問い合わせはこちらから

この記事の執筆・監修はこの人!
プロフィール
笠浪 真

税理士法人テラス 代表税理士
税理士・行政書士
MBA | 慶應義塾大学大学院 医療マネジメント専攻 修士号

1978年生まれ。京都府出身。藤沢市在住。大学卒業後、大手会計事務所・法律事務所等にて10年勤務。税務・法務・労務の知識とノウハウを習得して、平成23年に独立開業。
現在、総勢42人(R2年4月1日現在)のスタッフを抱え、クライアント数は法人・個人を含め約300社。
息子が交通事故に遭遇した際に、医師のおかげで一命をとりとめたことをきっかけに、今度は自分が医療業界へ恩返ししたいという思いに至る。

医院開業・医院経営・スタッフ採用・医療法人化・税務調査・事業承継などこれまでの相談件数は2,000件を超える。その豊富な事例とノウハウを問題解決パターンごとに分類し、クライアントに提供するだけでなく、オウンドメディア『開業医の教科書®︎』にて一般にも公開する。

医院の売上を増やすだけでなく、節税、労務などあらゆる経営課題を解決する。全てをワンストップで一任できる安心感から、医師からの紹介が絶えない。病院で息子の命を助けてもらったからこそ「ひとつでも多くの医院を永続的に繁栄させること」を使命とし、開業医の院長の経営参謀として活動している。

                       

こちらの記事を読んだあなたへのオススメ