クリニックのスタッフに残業を命令できる3つの法的条件

公開日:2019年11月21日
更新日:2024年4月9日

一般の会社と変わらず、医院・クリニックでも残業時間や残業代に関するトラブルは多く、開業医の先生を悩ませています。

例えば残業を避けるために、スタッフが勝手に診療時間終了間際の患者さんの予約や受付を勝手に断るといったことは、比較的見受けられることです。

もし、緊急の治療が必要だったのに、適切な措置をしなかったり、他の医療機関に誘導しなかったりした場合は、応召義務違反に問われることもあり得るでしょう。

ですから、不要不急の診察を除けば、残業を避けるために勝手に受付で診療を断るようなことがあってはいけません。

しかし一方で、院長先生は無条件でスタッフに残業を命じて良いわけではありません。無条件で残業をスタッフに命じることは、今度は労働基準法に抵触します。

そこで今回はクリニックのスタッフに残業をさせる法的根拠についてお伝えしていきます。

スタッフに残業させることができる3つの法的条件

そもそも冒頭のような話をすると、違和感を覚える開業医の先生も多いかもしれません。

これまで急患対応などで時間外労働の多かった先生にとっては、「急患が来てもスタッフに今日は帰っていいよ、なんてことが言えるか!」と思うでしょう。

しかし、だからといって労働条件に関する取り決めがいい加減で許されるわけではありません。

むしろ、スタッフに納得して残業してもらうには、次の3つの法的条件を守る必要があります。

そうでなければ、本来院長先生はスタッフに残業を命じることができません。

どんな理由であれ、残業を無理やり強いることになれば院長先生が労働基準法違反に問われることになります。

最近は労働基準監督署の調査が入るクリニックも少なくありません。それでは、一つひとつ解説していきます。

36協定の締結・届出

36協定を締結し、管轄の労働基準監督署に届出をしていることが必須条件となります。

36協定とは、夜勤などを含む時間外労働や休日出勤をしてもらう際に必要な手続きです。労働基準法第36条に定められているため、36協定と呼ばれているのです。

クリニックの場合は全スタッフの過半数の代表者と協定を結び、必ず書面で作成し、管轄の労働基準監督署まで届け出る必要があります。

36協定で何を定めるかというと、具体的に次のようなことを定めていきます。

・時間外労働をさせる具体的理由
・対象労働者の業務内容と人数
・延長することができる時間数(1日単位・1ヶ月単位・1年単位)

ただし、後述するように3つめの延長することができる時間数については上限があります。

なお、法的な定めはないですが、36協定については1年間の有効期間としていることが多く、基本は年1回の更新が必要です。

有効期限が切れる前に、労働基準監督署に36協定届を届け出ましょう。

就業規則などに36協定を規定

就業規則などに「36協定の範囲内で時間外労働をさせることができる」旨の規定をしている必要があります。

クリニックの就業規則の作成義務は、スタッフが10人以上いる場合に限っているので、なかには就業規則がないクリニックもあるでしょう。(労働基準法第89条)

しかし、就業規則は労働条件や就業ルールを取り決めるもので、労使トラブルを回避するには有効です。

特に開業直後は離職が相次いだり労使トラブルに巻き込まれたりするリスクが高くなります。

できれば10人未満のスタッフのクリニックでも開業時に就業規則は作成しておくことをおすすめします。

また、就業規則がなくてもスタッフに残業してもらう場合は、36協定が必須となるので、忘れずに36協定の規定をしておく必要があります。

「スタッフが10人未満だから36協定は不要」とはならない点は注意してください。

割増賃金の支払い

時間外労働をさせた場合に、労働基準法第37条に定める割増賃金を支払うことが定められています。つまり残業代については、割増賃金率を考慮して支払わなければいけないということです。

割増賃金率と割増賃金の計算式

具体的には割増賃金率については次のように定められています。

時間外労働法定時間(1日8時間・週40時間)を超えたとき25%以上(月60時間を超える時間外労働については50%以上)
休日労働法定休日(週1日)に労働させたとき35%以上
深夜労働22時から5時までの間に労働させたとき25%以上

割増賃金の計算式は次のようになります。

割増賃金額=1時間当たりの賃金額×時間外労働時間数×割増賃金率

時間外労働が深夜帯(22:00~翌5:00)となった場合は50%以上(25%+25%)、休日労働が深夜業となった場合は6割以上(35%+25%)の割増賃金を支払う必要があります。

割増賃金の基礎から除外できる項目

上記の割増賃金の計算式の基礎となる賃金から除外できる項目は、次の7つです。

①家族⼿当
②通勤⼿当
③別居⼿当
④⼦⼥教育⼿当
⑤住宅⼿当
⑥臨時に⽀払われた賃⾦
⑦1か⽉を超える期間ごとに⽀払われる賃金
※労働基準監督署の資料より抜粋

基本給はもちろんのこと、上記7つに該当しない賃金は、割増賃金の計算式に参入しなければなりません。

また、上記①~⑤の項目についてもすべて除外できるわけではないことにも注意が必要です。

例えば以下の場合は、割増賃金の基礎に参入しなければいけません。

家族手当扶養家族の有無、家族の人数に関係なく一律に支給するもの
通勤手当通勤に要した費用や通勤距離に関係なく一律に支給するもの
別居手当住宅の形態ごとに一律に定額で支給するもの

時間外労働の限度基準と特別条項、上限規制(医師以外)

36協定には「時間外労働の限度基準」というものがあり、原則月45時間、年間360時間の上限が設けられています。

しかし繁忙期など特別な事情がある場合は「特別条項」を締結すれば、上記の時間を超えて残業をさせることが可能です。

「特別条項」を発動できるのは年間6回(1年のうちでトータルで半年)という上限はありますが、上限時間は特に定められていませんでした。

そこで、2018(平成30年)6月の労働基準法の改正で、罰則付きで時間外労働の上限規制が導入されることになりました。

具体的には時間外労働時間の上限を「年間720時間」、単月では最大「100時間未満」とするものです。(特別条項の2~6ヶ月間の平均は「80時間以内」)

2015年の電通の過労自殺をはじめ、100時間を大幅に超える長時間労働で過労死に追い込まれたケースが後を立たないのも背景のひとつでしょう。

誤解されやすいのは単月で最大「100時間未満」、特別条項の平均「80時間以内」という上限は、休日労働を含めた上限になります。

一方で年間の上限「720時間」という数字は休日労働が含まれておらず、休日労働を含めると計算上「960時間」が上限になります。

この単月100時間以内、2~6ヶ月平均80時間以内、年間960時間という数字が現状厚労省の解釈する過労死ラインと言えるでしょう。

ただし、後述するように、2024年4月までは勤務医に対しては上記の上限規制は適用されません。

【医師にも残業時間の上限規制】医師の働き方改革(2024年4月適用)

※厚生労働省「医師の時間外労働規制について」より抜粋

なお勤務医については、これまで「時間外労働の罰則付きの上限規制」は適用を見送られていましたが、2024年4月から適用される予定です。

これが、「医師の働き方改革」です。

しかし、この上限規制については、上図のように一部の医療機関では、年間の残業時間「1860時間」という過労死ラインの2倍にあたる案も示されています。

ただ、多くの医療機関は、年間の残業時間「960時間」を上限とするA水準に該当します。

以下に簡単に解説しますが、上記の水準では、月の残業時間の上限は100時間とされていますが、いずれも「例外あり」とされています。

これは、追加的健康確保措置(面接指導と就業上の措置)を行えば、月の残業時間の上限を超えても違法とはならないとされ、努力義務と法的義務があります。

なお、月155時間を超える場合には、労働時間短縮の具体的な措置を講ずることとしています。

A水準対象医療機関

A水準対象医療機関とは、通常の医療機関で働く医師に適用される水準で、以下のように一般企業と同様の時間外労働の上限規制となります。

年間の時間外労働年間960時間
月間の時間外労働月100時間未満(例外あり)
追加的健康確保措置【法的義務】
・面接指導
・就業上の措置【努力義務】
・連続勤務時間制限28時間
・勤務間インターバル9時間の確保
・代償休息

B水準対象医療機関

B水準対象医療機関とは、以下の医療機関が指定されます。

なお、B水準については、2035年までに終了し、A水準と同じ基準となる予定です。また2024~2035年の間に適宜残業の上限規制の見直しが図られる予定となっています。

【B水準対象医療機関】
◆「救急医療提供体制及び在宅医療提供体制のうち、特に予見不可能で緊急性の高い医療ニーズに対応するために整備しているもの」・「政策的に医療の確保が必要であるとして都道府県医療計画において計画的な確保を図っている「5疾病・5事業」」双方の観点から、
ⅰ 三次救急医療機関
ⅱ 二次救急医療機関 かつ 「年間救急車受入台数1,000台以上又は年間での夜間・休日・時間外入院件数500件以上」 かつ「医療計画において5疾病5事業の確保のために必要な役割を担うと位置付けられた医療機関」
ⅲ 在宅医療において特に積極的な役割を担う医療機関
ⅳ 公共性と不確実性が強く働くものとして、都道府県知事が地域医療の確保のために必要と認める医療機関
(例)精神科救急に対応する医療機関(特に患者が集中するもの)、小児救急のみを提供する医療機関、へき地において中核的な役割を果たす医療機関
◆特に専門的な知識・技術や高度かつ継続的な疾病治療・管理が求められ、代替することが困難な医療を提供する医療機関
(例)高度のがん治療、移植医療等極めて高度な手術・病棟管理、児童精神科等

【連携B水準対象医療機関】
◆医師の派遣を通じて、地域の医療提供体制を確保するために必要な役割を担う医療機関
(例)大学病院、地域医療支援病院等のうち当該役割を担うもの

引用元:厚生労働省「第10回医師の働き方改革の推進に関する検討会資料」より抜粋

年間の時間外労働年間1,860時間
月間の時間外労働月100時間未満(例外あり)
追加的健康確保措置【法的義務】
・面接指導
・就業上の措置
・連続勤務時間制限28時間
・勤務間インターバル9時間の確保
・代償休息

C水準対象医療機関

C水準対象医療機関とは、集中的技能向上水準と言われ、以下の研修等を行う医療機関が指定されます。

C-1:臨床研修医・専攻医が、研修プログラムに沿って基礎的な技能や能力を修得する際に適用
※本人がプログラムを選択

C-2:医籍登録後の臨床従事6年目以降の者が、高度技能の育成が公益上必要な分野について、指定された医療機関で診療に従事する際に適用
※本人の発意により計画を作成し、医療機関が審査組織に承認申請

引用元:厚生労働省「医師の時間外労働規制について」より抜粋

年間の時間外労働年間1,860時間
月間の時間外労働月100時間未満(例外あり)
追加的健康確保措置【法的義務】
・面接指導
・就業上の措置
・連続勤務時間制限28時間
・勤務間インターバル9時間の確保
・代償休息

クリニックの所定労働時間

これまで残業時間(時間外労働)についてお話しましたが、そもそも残業時間とは所定労働時間を超えた労働時間です。

この所定労働時間は、ご存知の通り「1日8時間以内、1週40時間以内」ということになっています。

ただ、この労働時間は診療時間とイコールでないことを認識しておく必要があります。

診療前の準備時間、診療後の後片付け、ミーティングや研修も基本的には労働時間になることを忘れないようにしましょう。

なお、10人未満のクリニックでは所定労働時間を1週44時間までの範囲で設定できる特例があります(特定措置対象事業場:保健衛生業)。

しかし院長先生にとっては有利なことでも、スタッフから見れば不利な条件です。

ですから求人募集などで他のクリニックと比較された場合、採用で不利となる覚悟は必要でしょう。

残業拒否したスタッフを解雇できるのか?

スタッフに残業を命令するには、36協定と就業規則の規定、割増賃金の支払いの3つが必須とお伝えしました。

では、この条件が揃っているからといって、残業拒否したスタッフに対して解雇できるかと言えば、もちろんそれはできません。就業規則に基づいた手続きをしなければいけません。

例えば、診療の予約を勝手に調整して残業を避けるスタッフに即解雇を命じるのは不可能です。

これは労働基準法16条で言うところの「解雇権の乱用」にあたります。

解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。

引用元:労働基準法16条

つまり、やる気がない、協調性がない、勝手な行動が多い……これだけの理由では基本的に解雇はできないわけです。

もちろん、このような問題あるスタッフを放置するのは、他のスタッフのやる気も削いでしまい、大量離職に繋がります。その場合は解雇の前に退職勧奨による合意退職にもっていくことも検討しましょう。

懲戒解雇や退職勧奨については、以下の記事で詳しく書かれていますので、そちらも併せてご覧ください。

【関連記事】クリニックの医師、看護師、経理などを懲戒解雇する時の6つのポイント

【関連記事】医院・クリニックの退職勧奨|スタッフとのトラブルに悩む開業医の先生へ

ダラダラ残業を防止するために

クリニックでも一般企業と同様にダラダラ残業が蔓延しているケースが多くあります。

ダラダラ残業が蔓延してしまうと、スタッフの残業代や水道光熱費が膨れ上がったり、全体の生産性が落ちたりするなど損失が大きくなります。

そこで、ダラダラ残業を防ぐために、残業のルールはある程度決めておいた方が良いでしょう。

①残業の理由を明確にして、さらに改善する
「何のためにやるか」を確認するだけでなく、「今後残業が発生しないようにするにはどうするか」といったことも確認し、改善につなげましょう。

②緊急性・必要性を判断する
「今日やらなければいけない業務か」「緊急を要するか」「あなたがやらないといけないのか」を確認します。例えば次の勤務の交代者で対応できるのであれば任せましょう。また明日できることは明日にしましょう。

③職員の健康状態を考慮する
残業が続いていないか、昼休憩などしっかり休憩は取っているのか、体調に問題ないかは残業を命じる前に確認しましょう。

【まとめ】働きやすい職場環境に改善を

急患がいつやってくるかわからない医療業界の労働時間については、今でも様々な議論がされています。

「人の命が関わっているときに、時間外労働を言っていられるか!」という気持ちもわかります。

しかし、一方で医師や看護師不足に苦慮する地域が多いのも事実で、こうした実態がさらに過酷な労働を生む悪循環になっています。

こうした流れを断ち切るためにも「労働時間の削減」と「医療の質の向上」は切実な問題です。

働きやすい職場環境に改善しなければ「求人募集しても人が集まらない」「スタッフがすぐ辞める」といた問題は解決できません。

医院・クリニックでも時間外労働をはじめとした労務改革が必要なのは言うまでもないでしょう。

亀井 隆弘

広島大学法学部卒業。大手旅行代理店で16年勤務した後、社労士事務所に勤務しながら2013年紛争解決手続代理業務が可能な特定社会保険労務士となる。
笠浪代表と出会い、医療業界の今後の将来性を感じて入社。2017年より参画。関連会社である社会保険労務士法人テラス東京所長を務める。
以後、医科歯科クリニックに特化してスタッフ採用、就業規則の作成、労使間の問題対応、雇用関係の助成金申請などに従事。直接クリニックに訪問し、多くの院長が悩む労務問題の解決に努め、スタッフの満足度の向上を図っている。
「スタッフとのトラブル解決にはなくてはならない存在」として、クライアントから絶大な信頼を得る。
今後は働き方改革も踏まえ、クリニックが理想の医療を実現するために、より働きやすい職場となる仕組みを作っていくことを使命としている。

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